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斐伊川水系上流部尾原ダムの完成式。

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神話の世界からスサノオ、稲田姫の大蛇伝説に見られるように島根県東部の斐伊川水系は毎年の如く洪水で悩まされ、その都度住民は大きな被害を受け完璧な治水が叫ばれてきました。昭和になっても大きな被害に悩まされることはしばしばでした。昭和40年代初頭田部県政の三期目に斐川水系の治水対策として三点セットといわれる、斐川の上流部にダムをつくり、また神戸川の上流にもダムをつくり、中流の出雲市に斐伊川から神戸川へいざという時の為にあふれた水を放流する放水路を建設し、下流部の松江の大橋川を拡張するという現代版やわたの大蛇対策といわれる構想が発表されました。これが斐伊川神戸川治水対策事業です。昭和47年島根県は大水害の被害にあいました。島根県東部の旧木次町をはじめとする一帯は特殊土壌雲南まさ土地帯といわれますが、死者も出ましたが崩落被害の多発により大変なる被害を受けました。下流部の斐川町、平田市、松江市は宍道湖から大橋川は水であふれ床上浸水の大被害にあいました。当時、旧斐川町の災害地を視察したの覚えていますが、田んぼのはるか上を船で被害地を視察しました。しかし上流部のダムサイトとなるといわれた候補地は先祖伝来の土地や生活を奪われるためダム建設反対の運動も激しくなりました。恒松県政のはじめダムサイト候補地をいつまでも苦しめてはならぬというので、生活や財産の補償をしっかり行うということでまず旧頓原町の三島豊町長の仲介で神戸川上流の志津見ダム建設が前に進みだしました。ついで斐伊川上流のダムサイト予定地に旧木次町の田中豊繁町長の強いリーダーシップで尾原ダムが動き出しました。その後、地権者の理解を得て田部県政のときに提案された三点セットの治水対策の上流部のダムの一つ尾原ダムが40数年ぶりに完成いたしました。その完成式が現地の雲南市、奥出雲町で盛大に行われました。当時私も県会議員として何度か本会議等でダムサイトの住民の苦しみ生活再建、財産補償などについて何度も質問し、地元住民と島根県当局の橋渡しを何度もしたことが思い出されます。また私は斐伊川漁協の組合長をさせていただいていましたので漁業補償の大変さにも遭遇しましたが組合員と県、国との調整がつき全く不満のない解決ができたのは良き思い出でした。住民の苦悩は並大抵のものではありませんでした。先祖伝来の財産を失い、家の移転、子供の教育の悩み、地権者の生活一切が失われていくわけです。いろいろな苦難を乗り越え、今日の竣工式を迎えたのです。

尾原ダムの竣工式に参加させていただき当時のいろいろなことを思い出しながら大きく変貌したダムサイトを見、感慨深いものがありました。今後も雲南市、奥出雲町のいよいよのご発展を祈りします。新緑に取り囲まれたダムではちょうど高校生のボートやカヌーの部門のインターハイが賑やかに行われていました。皆様方も一度訪れてみてください。

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