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2011年8月

夏の終わり

孫の夏休みも終わりに近づきました。松江で興行しているサーカスを見学に行きました。とてもおしゃれなサーカスで2時間ばかりの時間があっという間に過ぎました。

今日は掛合地区の運動会がありました。私はた玉入れ競争の選手として出場しました。その後みんなで直会があり、楽しい一日でした。

久しぶりに伊原重雄さんの家をたずねました。伊原さん宅はいつも多くの人が集まっています。今日は近所のご婦人がたが集まって談笑していました。楽しい会話に花が咲きました。

田んぼの稲も色ずきました。いよいよ収穫の秋です。

またもやこの国のトップを決める代表選がテレビで報じられています。国民の参加のないまま国のトップを決める事態が何年続いたことでしょう。小沢さんは国会議員200名でこの国を乗っ取ることができるのですかね。こうした馬鹿げたことはそろそろやめにして国のトップは国民全体で選べる制度にしなくてはと思います。

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三陸海岸の大槌町の町長選挙

3月11日の大地震大津波で街は完全に破壊されそのうえに町長さんもお亡くなりになった岩手県の三陸海岸の大槌町の町長選挙が始まりました。私も5月に朝日新聞社から派遣されている東野さんを訪ねて大槌町おとずれました。その被害のすさまじさにはただ立ちすくむだけでした。亡き町長さんの後は副町長さんが指揮をとっていましたが、その副町長さんも任期でやめられ、その後は総務課長さんが指揮をとって来られました。その間災害復旧にあわせ町長選挙の準備は大変だったと思います。全国に散らばった人たちを探し選挙を伝えるというのは困難を極めたと思います。新しい町長さんの下で早く災害から復旧され、新しい町つくりが行われることをお祈りしています。

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JAカップ第28回島根県学童軟式*野球が盛大に開催されました

今年もJAカップ争奪島根県学童軟式野球が松江の市営球場で盛大に開催されました。島根県各地での予選を勝ち抜いた8チームで戦われました。私も主催者の島根県軟式野球の会長として今年のテーマはあきらめないということですが、最後まであきらめずに頑張りましょうと激励のあいさつを行いました。毎年盛大に行うことができるのは山陰中央新聞社の皆さん、JAの組合の皆さん、JA島根共済連の皆さんの御支援の賜物と感謝しております。第30回は記念大会としてアクセントのある大会にしたいものと思っています。島根にとっても国にとっても子供たちが一番の宝です。立派に育ってほしいと期待しています。優勝された松江乃木ライオンズクラブの学童の皆さんおめでとうございます。

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掛合のえびす祭り

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毎年8月20日は掛合のえびす祭りです。掛合は昔からえびす祭りを彩る『一式飾り』はとても有名です。今年もそれぞれの町内会が腕によりかけてつくりました。後継者の育成ということで中学生の参加もありました。掛合太鼓もなくてはならない出し物です。子供太鼓から大人の太鼓まで拍手喝采でした。田舎は人口減少で人の集まりが心配されますが、今年もえびす祭りは賑やかで安心しました。

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掛合出身の大相撲幕内格呼び出し琴三さんが帰ってきました。

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大相撲で活躍している掛合出身の呼び出し琴三さんが盆休みで帰ってきましたので吉田村の割烹杉原で夕食を囲みました。琴三さんは掛合の佐中出身です。今や幕内格として大活躍です。

吉田村の割烹杉原は京都で修業したほどはあって京、大阪、東京の料理屋には負けません。琴三さんもたまげていました。皆さんも一度訪れてください。

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掛合の世話役中澤一夫さんがなくなりました

掛合の世話役として活躍され、だれからも慕われた中澤一夫さんがなくなりました。誠に残念です。私もずいぶんお世話になりました。心からお礼を申し上げます。衷心より哀悼の誠をささげたいと思います。たくさんの仕事をされました。後は御子息の中澤豊和さんを中心に頑張っていただきたいと思います。

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お盆の夜は夏祭り

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今年も今日でおぼんはおあわりです。、早いもので、すぐそこに秋の訪れを感じます。8月14日は例年の通り、掛合の入間、波多、松笠地区の夏祭りに招待を受けて参加しました。参加するようになってもう40年歴史を刻みます。入間地区では小学校をリファインされ宿泊施設や地区の多目的施設として利用されるようになりました。私の母校の早稲田の学生や広島の大学の学生が30人ぐらい合宿をしていました。都会からもたくさんの人たちが帰郷し、にぎやかな夏祭りでした。久しぶりにお会いする人たちとにぎやかに歓談することができうれしく思いました。

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戦後66年 終戦記念日

今日は先の大戦から66年 終戦記念日を迎えました。沖縄戦、東京大空襲なだを経て広島、長崎に原爆が投じられ、また北方領土へはソビエトが日ソ不可侵条約を破って侵入し、不法占拠することになりました。日本はポツダム宣言を受け入れ、全面降伏したのです。多くの人命が失われ、国民はこれ以上の苦労はないほどの苦労を強いられました。戦後、全くの価値転換、思想転換がはかられ、今の憲法が制定され、民主主義、日米安全保障条約締結の下、軽武装、経済優先による高度経済成長を遂げました。戦争で犠牲になられた皆さまの御霊にぬかずきご冥福をお祈りします。今年は大地震、大津波、福島原発によるあれ以来の大惨事を日本は受けました。ちょうど66年前と同様に国のあるべき姿を創りなおす必要があると思います。先般、掛合在住の大谷さんがおいでになりました。大谷さんはソビエトに4年間抑留され、幸いにも昭和24年帰国されました。極寒の抑留生活の悲惨さを伺いました。二度と戦争はしてはしてはなりません。大谷さんは戦争で負傷されましたので、傷痍軍人の会に所属され地域の世話などもずいぶんされました。しかし戦後66年もたつと傷痍軍人の方も亡くなられる方が多く、後2~3年で全国組織も解散だそうです。軍人恩給の会も遺族会も次第に同じ傾向になることでしょう。先の忌まわしい大戦が遠い昔の歴史の中に閉じ込められるのではないかと、それこそ風化してしまうのではないかと心配です。日本は先の大戦を反省しそこから国民みんなでたち上がったことを忘れずにこれからの難局を切り抜けていかなくてはなりません。

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私の地元のJA雲南の肥育センターにもセシウムの被害が及びました。

私の地元のJA雲南にも福島原発の事故によるセシウムの被害が及びました。牛のえさとして購入した稲藁被害です。東京電力の罪の深さは計り知れないものがあります。数ヵ所の肥育センターが被害を受けています。その一つ飯南町頓原の肥育センターを見に行きました。昔、この肥育センター創設にあたり少しお手伝いをしたことがあるので心配でした。現在170頭の和牛が肥育されていますが、すべて検査が必要だそうです。全く持って想定外の出来事です。生産者、消費者すべてに大きな被害をもたらしました。東京電力は現地に謝りに来たのでしょうか。これからでき秋になりますがいろいろな作物に影響がなければと心配しています。何といっても東京電力のしでかしたことは許されません。

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日本全国で小水力発電の促進。

日本全国で小水力発電を促進しましょう。現在調査された小水力発電の可能な水路は全国で2万か所、540万KWだそうです。水力だけでなく再生可能エネルギーはバイオマス、太陽光、地熱などたくさんあります。天然ガスなどと組み合わせれば相当のエネルギー源になると思います。そのためには発送分離で送電会社をつくるべきでしょう。

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お盆に向けてお墓の掃除に庭の草取り。

今年もお盆が近づきました。毎日うだるような暑さです。お墓の掃除、庭の草取りと玉のような汗をかきながら必死でした。畑も草ぼうぼうです。暑さの中はとても畑の草取りまできません。それでも私の住んでいるところは田舎の中の田舎ですから昼も夜も冷房はしません。お盆が過ぎれば少しは秋風になることでしょう。月日のたつのは早いものです。

菅総理も引退。後はだれが総理なのでしょうかね。

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行列のできるレストラン「光右衛門」(吉田村)

今日は吉田村の友人たちと行列のできるレストラン「光右衛門」で盛大な懇親会が開催されました。青年団の会や八日会、無礼講の会などの再出発を開催すべしという要請がありました。もう一度青春時代を謳歌しましょう。

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8月9日長崎へ原爆が投下された日。

式典で長崎市長は脱原発に言及しました。広島市長とは少し違いますね。

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英国の若者暴徒化をを見て1950年代の英国の「怒りを込めて振り返れ」を思い出す

英国で警察官による黒人射殺に端を発して起きた若者暴徒化はロンドン、バーミンガム、リバプールなど各地に広がっています。すさまじい破壊、略奪はフェースブックなどのインターネットによりとどまることなく広がっています。暴動の背景には、高い失業率などに対する若者の不満はキャメロン連立政権が進める国民の痛みを伴う歳出削減との関連が言われている。首相がイタリアに避暑で出かけた後の騒ぎである。貧富の格差拡大の社会の病理を示している。1950年代、ジョン・オズボーンの戯曲『怒りを込めて振り返れ』からアラン・シリトーなど作家を中心に政府に対して反抗を示した。労働者階級は社会が不当に気付いた彼らの周りの規制への反発、その規制を守ろうとする権力者の偽善に対するアナーキックな怒りから、不道徳行為という方法で権威に対してささやかなプロテストを試みた。その行動は積極的反体制に向かわず非体制的反逆であった。今回の事件は王室の結婚の年、オリンピック開催前年に起こるなど英国の社会のいびつさが示された。現代の怒れる若者たちはどこへ向かうのだろうか。

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ハイヌーン・しまね 創立20周年記念チャリティー演奏会

明日を創る作る女性のつどいハイヌーン・しまね(会長曽田早苗)が結成されてから20年なりました。創立20周年を記念してチャリティー演奏会が盛大に開催されました。ハイヌーン・しまねは青少年健全育成という大命題の下、努力されてきました。たくさんのいろいろな事業に取り組みをされ、社会貢献をされました。その一つに孫を見ながら『ものずくり』のテーマ、そして幼児施設へのハンドベル贈呈と幼児たちが集っての演奏会は最高の活動でありました。20周年を記念して7つの保育所の園児たちによるハンドベルの演奏がなされました。これからも元気に頑張ってほしいものです。私も感謝状を頂き、とても感激しました。ありがとうございました。会長の曽田さんをはじめ会員の皆さんの今後の活躍と御健康をお祈りします。

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8月6日 広島に原爆が投下された日。

今年もまた広島に原爆が投下された日が来ました。戦争のない平和な日本であり世界であることを祈りたいと思います。特に今年は複雑な年です。原子力の平和利用として開発された原子力発電が福島で大事故を起こし現在も収束していません。放射能の被害がどこまで広がるのか想像もできません。人間は開けてはならないパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。今後、エネルギー問題、経済問題、人間の健康問題、人間の生き方などいろいろな課題が我々の日常生活に襲いかかってきます。真剣に考えていかなければなりません。

-原爆投下から66年がたちました。国内外で原爆手帳を持つ人は21万9410人。たくさんの方が原爆症で苦しまれています。平均年齢77.44歳、次第に高齢化が進みます。いつまでも原爆の怖さが伝えられていかなくてはなりません。私は子供のころ映画『原爆の子』を見て、とても衝撃を受けました。この映画をこれからも世界の人たちが見続けてほしいものです。

新しい広島の被爆二世である市長がどういう挨拶をされるかとても興味があります。特に原発についてどういう発言されるかについて。

日本は国のエネルギー政策を大きく変えなくていけません。これからとてもこれだけの大事故をおこした原発を新しく造るのは無理です。古くなった原発は廃炉にしなくてはなりません。また検査をしたまま再稼働できない原発も増えること思います。いずれにしても普通に対処しても原発は年々脱原発に向かうのは必至です。島根原発も1号炉は40年近くになっていますし、福島と同じ型だそうですが、早々廃炉にしなくてはなりません。福島原発を見ただけでもわかるように被害対策だけでも何兆円何十兆円お金がかかるかわかりません。すべて国民負担です。そのうえ健康不安が後を絶ちません。国は将来の日本のエネルギー対策を早急に脱原発で考えなくてはなりません。我々日本人は広島、長崎、福島での恐ろしい二度とあってはならない体験を今後世界でどのように生かしていくのかその大きな第一歩を歩みださなくてはなりません。

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元島根県連合青年団長加村洋次郎君が出雲の消防団長になりました。

私たちは昭和45年ごろから50年代初頭に島根県連合青年団の一員として地域活動を行いました。戦後の青年活動の最後の盛り上がりの時期でした。私も飯石郡連合青年団長から島根県連合青年団の副団長を務めました。その当時の団長は加村洋二郎君でした。私は彼との出会いの中で県下にたくさんの仲間を得ることができました。今日までお互い仕事の世界はちがっても心の友として人生を送ってきました。その加村洋二郎君が出雲市の消防団長に就任しました。彼は若い時から消防団に所属し地域の為に活躍しました。*昨夜は当時の仲間が集まり祝賀会兼同窓会を開催しました。加村君の挨拶はこれからの消防団に対する改革の気持ちがみなぎっていました。これを機会にときどき当時の仲間を掘り起こして会を広げて再び青春時代に立ち返り、お互い地域で少しでも役に立とうと誓い合いました。皆それぞれ人生が顔に出ていますが、話すうちにだれも青春時代と全く変わっていません。将来を夢見る青年そのものでした。とてもいい会でした。お互い頑張りましょう。

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安来港で北前船みちのく丸をおっかける

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http://wrs.search.yahoo.co.jp/_ylt=A3aX6D4aFDZOsAcBZPiDTwx.;_ylu=X3oDMTFhaWpiaGUyBHBhdHQDBHByb3ADZW5jeWNsbwRzYwNFWEREBHNlYwNzYwRzbGsDbmV4dA--/SIG=130rfthig/EXP=1312267738/**http%3A//100.yahoo.co.jp/detail/%25E5%258C%2597%25E5%2589%258D%25E8%2588%25B9/

昨日は安来の友人からのお誘いで安来港に来航した北前船みちのく丸を見にゆきました。写真の下にあるようなヨットに乗り、中海を走行するみちのく丸をおっかけ、勇壮なる帆を上げて走るみちのく丸をキャッチしました。海上を3時間走りまわりましたので、真っ赤に日に焼けました。安来の港はたくさんの荷物の積み出し港としてにぎわいがあったそうです。今一度そのにぎわいが戻ることを皆さん期待されていました。

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