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2010年7月

柿の葉茶 熱湯を注いで5分 掛合通信

ビタミンCが多く含まれた「柿の葉茶」が開発され、販売されています。 製造者は掛合で若者の憩いの場『若竹』を経営している落合うた子さんです。お茶の内容は、柿の葉(70%)、よもぎ、どくだみ、熊笹、ハーブ により製造されています。よもぎ、どくだみ、ハーブは畑で作ったものです。健康志向が言われる昨今ですが、この柿の葉茶はなかなか好評です。一度試してみませんか。おいしくて健康に良いですよ。

連絡先 

製造者 落合うた子 島根県雲南市掛合町掛合2322

TEL 0854-62-0288

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秋に植える野菜は何にしようかな

今日は蒸し暑く、時々強風に見舞われ、ざわざわとした一日でした。畑もそろそろ夏枯れになり、秋植える作物を考えなければと思います。大根、人参、ホウレンソウ、かぶ、ねぎ、そらまめなど思いつくものはたくさんありますが、いつごろ植えるのか、肥料ははどうするのかと結構、勉強しなくてはなりません。今はあまりにも熱くて時期ではありません。でも作物を育てるのは、生命をはぐくむのはとても大切なことです。隣の石橋さんや三瓶の松尾さんに教えてもらわなくてはと思っています。こうしてパソコンをいじっている時も、じわっと汗が出てきますが縁側の戸をあけておけば結構涼しい風が入ります。毎日やっている一時間の夜の散歩の後、読みかけの本を読むころには心地良い睡眠環境にに変わます。掛合のいいところは寝るのに冷房をつけなくててもよいことです。掛合の街にも空き家がたくさんありますが、セカンドハウスに購入されると夏は良いですよ。

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暑い夏の日に思うこと

今日は一日蒸し暑い日でした。座っていても汗が出ます。お茶のお手前の練習をしました。すぐ忘れてしまうのには、ほとほとあきれてしまいます。歳のせいではなく、暑さのせいでしょう。中国が発展する中、大陸の熱風が日本列島を覆っているのでしょう。選挙も終わり夏休みに入り、少し静かになった気がします。また秋に入り、政局の風が吹き荒れることでしょう。いつもそうですが、候補者に悲喜こもごもが付きまといます。もちろん当選した人は周りの人たちみな一同喜びのるつぼでしょう。私の友人の東京のHさんと高知のTさんは3年間みっちりっ選挙運動をしたのにかかわらず、再び敗残の憂き目にあわれました。当選されればだれよりも国会活動には手腕を発揮される人なのにと思うと残念でなりません。人には持って生まれた運命があるとか、厳しい運命を突破してこそ真の政治家だとか言われますが、これがなかなか複雑怪奇なことで、運命とだけに言われては、やりきれないものがあります。選挙というものがある限り、勝者と敗者が区別され、天下は勝者によって支配され、動かされますが、世の中、だれもが納得するようにうまく行っているとは限りません。いっそ敗者だけにやらせたならば、人の痛みもよくわかり、きっと良い政治ができるのではなどと思ったりするのはおかしいのでしょうか。おかげさまで夕方になると友人たちが懇親の場に誘ってくれます。人の話にはいろいろな悩み苦しを勉強させられます。

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私が初めて勤めたのは江津市です

朝6時30分に家を出ました。夕べ松江で友人と懇親をしたため、松江に車をとりにゆき,それから江津の田中健二さんのお悔やみに行きました。奥様も、お嬢様もお元気でした。江津市は久しぶりでした。一番館というコーヒー店によりました。とても味の良いコーヒでした。江津は私が郷里に帰り、初めて務めた江の川学園女子短期大学があった街で、私にとって、心の故郷です。町並みは昔と変わりませんが、そんなに発展を感じさせません。やはり少子高齢化に悩んでいるのでしょう。美しい山並みのなか、中国太郎と呼ばれる江の川の流れは滔々としていました。帰りに大田市の従兄の家の初盆にお参りし、久しぶりに長々とお話をしました。庭にはひまわりの花が所狭しと満開に咲き誇っていました。それにしても暑い一日でした。夕方、親しい友人が訪れてくれましたので、夜遅くまで懇談をしました。友人は毎日、専業農家で大忙しです。これから秋につくる野菜の指導も受けました。農は国の基です。

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今年も平和の大切さを認識する暑い夏です

今年は暑い日が続きます。全国では熱中症でたくさんの人が倒れたそうです。7月も最後の週に入ります。明日は先般なくなった田中健二さんのお悔やみに江津へ行こうと思います。

テレビ番組も8月が近づくに従い、太平洋戦争の悲惨さを、終戦の時代を、その後の日本の発展を報道する回数が多くなってきます。今年の夏も平和のありがたさをしっかり受け止めなくてはなりません。戦後日本は冷戦対立の中、憲法9条を頂き、日米安保条約に基づく日米同盟の継続により、吉田内閣の方針として軽武装、経済重視の政策がとられ、今日の経済発展を見たのはだれも否定することはできません。そして1950年、朝鮮動乱が起こり日本は高度経済成長が緒に就いたことも忘れてはなりません。日本の平和は日米同盟と同時に朝鮮半島を分断する38度線が冷戦構造時代も平和の防波堤となり、また1990年の冷戦終結の後は北朝鮮との防波堤になったことは言うまでもない。日本の平和は戦争を二度としてはならないという国民の気持ちはもちろんですが、こうした外的要因によっても守られていることを常に留意すべきです。この9カ月、鳩山政権の沖縄の普天間基地をめぐる迷走は何ら国民の利益にはなりませんでした。そして鳩山前総理は内閣を投げ出したとき、国会議員もこの任期でやめるといったのに、最近、また前言を翻し、議員を継続してやるというのは一国の総理をやった人間としては恥ずかしい。鳩山政権と同じように自民党政権を倒し、内閣を成立させたのは細川内閣でしたが、細川さんは政界を引退し、文化活動をされ、ときどき請われる中で意見を言われるのと比べると鳩山さんの未練たらしさは政治家としていかがと思います。総理大臣のやめ時は結構面白い。少し研究しエキスをまた述べたいと思います。

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蕎麦打ち名人なるかも知れぬ私の友人

出雲の友人が蕎麦打ちを始めました。今日はその試食会があり、友人宅を宅を訪ねました。ちょうど蕎麦を細めに切っているところでした。初心者にしてはというと失礼ですが、上手に裁断していました。蕎麦は二八蕎麦と思われます。早速、茹でて試食しましたが、本職に変わらぬ味であり、おいしく食べることができました。もう少し鍛錬すれば、隣近所の人たちを呼んで盛大な蕎麦打ち大会ができると思います。奥様のご馳走も舌包みでした。夕方までいろいろ積もる話に花が咲き楽しい一日でした。

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日本の人口減少にどのように対処するか 日本は世界の田舎になる

日本の国技大相撲が揺れている。反社会的な人たちとの交際である。きちんと膿を出し9月場所から立ち直ってほしい。ところで相撲番組を見てみると外国出身の力士がとても多い。特に今場所は余計目立つ。少し大げさかもしれないが、日本の将来を見るようだ。日本は少子高齢化、人口減少時代である。日本は規模縮小時代に入る。これを解決するには、何としても子供を増やすか、移民を受け入れるか、昔の耐乏生活に帰るか、頭に浮かぶのはこの3つぐらい。大相撲は将来の日本を先取りして外国から若者を呼び、力士に鍛え大相撲の活性化を図っている。ここで国立社会保障・人口問題研究所の資料で2006年12月推計のもとに移民により人口減少分を補充した場合をシュミレーションしてみる。初期の5年間(05~09)については人口維持に必要なのは37万人、10~19年459万人、2029年には644万人となり、05年から50年間では3千万人の移民を受けいる必要がある。移民の年齢層は20歳代前半が最も多くなり、日本の高齢化も緩和される。

移民を一切ないことを想定した計算では、高齢化率(65歳以上人口の割合)は上昇し、2055年には43%に達するのに対し、人口減少を移民によって補充する場合には高齢化率は2015年ごろに26%まで足した後、横ばいになる。

ただしこうしたシナリオで移民を受け入れると、日本の総人口に占める外国人の割合が多くなる。05年の外国人の割合は1.2%であったものが30年には10%を超え55年には5人に1人(22.3)になる。しかし短期的には経済成長や高齢化の緩和には役立つが、社会的システムの構築を急がなければこれまた対応が難しくなる。言葉、習慣、文化、社会的統合、年金、医療、介護、福祉などの社会保障整備など新たな問題が持ち上がり、政治課題になる。いずれにしても日本は少子高齢化人口減少時代に備えてどうするか急がれる。

ただ日本という国は地理的に見て、自然豊かで、四季があリ、住みやすい立地条件を持ち四面海に囲まれ他国からの侵略を受けにくく 、他国人から見れば羨望の的ということも忘れてはならない。最近中国人が長野県で水源地を買い占めたなどという話を聞きますと違和感を持ちます。できれば日本人の出生率が上がればよいなと思います。

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暑中お見舞い申し上げます

友人の会社の事でちょっと出張しました。最近経験したことのないような暑さでした。何処でも、お構いなく汗が滝のように流れ出しました。ハンカチは絞ればしずくが滴るようでした。まさに異常気象。皆さん暑中お見舞い申し上げます。

政治だけでなく経済人、現場で実際に仕事をしている人などたくさんの方たちとお話しする機会がありました。これまで、気がつかなっかったようなことが新鮮に頭の中にたたきこまれます。日本の経済、アジアの経済、ヨーロッパの経済、アメリカの経済、資源国の将来、グローバルな世界が頭の中を回ります。日本はあと40年後の2050年でも経済成長率は今とほとんど変わりません。人口、資源、つまり生産力、購買力など、どれを見ても新興国の発展は著しいというのが大方の見方です。これからのメイーンテーマはやはり環境でしょうか。そして地球は時間差なしに同時に情報が行き交います。言葉は英語と中国語が主流でしょう。そうした時代に突入するため自分を磨かなくてはと思います。確かに人にの生命は限りがありますが、命の限り蝉しぐれではありませんが、鳴き続けなくてはなりません。そのためにも健康が一番です。暑い夏を吹き飛ばしましょう。

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人生で一番大切な一つはよき友達を持つこと

私もたくさんの友達に恵まれて人生をここまでやってくることができました。心から感謝しています。夕べは中でも本当に信頼している2人と食事をしました。いろいろなアドバイスをしていただくと同時に、私に言いにくいことでもサラッと話していただけるのは本当にありがたいと思っています。その忠告によって私の迷いが救われ、私の人生道がしっかり守られたことは心から感謝しています。これから年をとるにつれ、いろいろ迷うこともたくさんありますが、今後ともよろしくご指導お願いします。人生で一番の宝は友達であり、本当の忠告をしてくれる人たちです。心から感謝しています。

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最後のお便り

今日は朝の集落の共同作業の後、家に帰り少し休みました。目が覚めてから、今年頂いた年賀状に改めて目を通しました。一人一人の思い出が走馬灯のごとく浮かんできました。でもさみしさも感じる年賀状もありました。年賀状を頂いてからなくなった方からのが数枚ありました。最後のお便りでした。春に亡くなった良き友人早水厚さん。いろいろな思い出が頭に浮かびます。また先般お亡くなりになった、江津市の元県議会議長の田中健二先生。一緒に県議会の時代を過ごし、大変お世話になリました。それぞれの方たちが社会に貢献し、生きて来られました。そして将来への夢を抱いたメッセージを発信されていました。今年も夏が来ました。心からご冥福をお祈りします。

司馬遼太郎さんの「21世紀に生きる君たちへ」の中に『私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないにちがいない。君たちは、ちがう。21世紀をたっぷり見ることできるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。』

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穴見谷集落の郷同作業

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今朝早くから、我が穴見谷集落の共同で道掃除が行われました。皆さん農作業で草刈りなどお手のものです。私も見よう見まねで草刈り機を使い、汗だくだくです。約3時間ばかりの作業でした。でも緑に取り囲まれた自然の風はさわやかです。家に帰りシャワーを浴び一杯ビールを飲むが楽しみです。おっと、自動車の運転がありますのでビール一杯は夜までお預けです。ご苦労様でした。

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出雲の国霊場巡り 神庭嘉孝さん公認先達に就任

このブログでも何度も紹介しました松江の神庭嘉孝さんが出雲の国霊場巡りの功績により公認先達に就任され、お祝いの会がホテル宍道湖で行われました。これからも健康に気お付け頑張ってください。無の境地、春のせせらぎのごとき人の道を先導してください。

斐伊川漁協の恒例のゴルフ大会が開催され、100名近くの方が出席し、盛大に開催されました。いよいよ夏本番暑い一日でした。

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島根の畜産を支える人たち

昨日は島根の畜産を支えている某町のAさん夫妻等と懇談しました。ちょうど昨日は宍道の市場で牛市があり、出品された愛畜が相当高額で売れたと非常に喜んでいました。島根の牛の値段もしばらく低迷していましたが、昨日は平均してよかったようです。昔し、島根で全国共進会が開催されるころは牛の数も多く畜産の将来ありと考えられていましたが、その後低迷し、3年前の鳥取県で開催された時は最悪でした。その後、Aさんのような畜産家が相当改良に努力され、持ち直しの兆しが見えているようです。農業は苦労はありますが、金になるのはやはり畜産ではないでしょうか。島根の畜産の復活を今一度考え、行動しなくてはと思います。Aさんは黒毛和種の子牛生産と酪農を並立させ専業農家として実績をあげておられるのには頭が下がります。お話をすればするほど魅力的で何の話をしても見識を示され、島根にもこういう人がいたのかと思うと島根の農業も明るさが見える気がします。

今朝も4時半に目を覚まし、牛の世話が始まるのです。

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坂本龍馬のお墓にお参りしました

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今テレビの龍馬伝で活躍中の坂本龍馬のお墓にお参りしました。明治維新への大きな足跡を残しました。

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京都の景色

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有栖川宮旧廷 、相国寺をおとずれました。桜の木は豊臣秀吉で有名な醍醐の桜の子孫です。DNA鑑定で確認されています。

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世界遺産下賀茂神社です。

下は、明治の時代に大蔵喜八郎さんが建設した祇園閣です。頂上からの京都の街は絶景です。

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大阪の鶴橋で冷麺を食べました 京都は祇園祭でにぎわっていました

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司馬遼太郎記念館の帰りに鶴橋により街を散策し、冷麺を食べました。とてもおいしかった。

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京都の渡文を訪れましたが、久しぶりに帯び製作の現場を訪れ帯びに絵付けしているのを楽しく見学させていただきました。

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京都は祇園祭の準備で雨の中にもかかわらず進められていました。最大のお祭りは17日です。夜は友人たちと食事をし、上七軒の歌舞練場へ行きました。渡文さんにお世話になり京都の街やなど見学させていただきました。

久しぶりに野中務先生と食事をし、楽しいひと時を過ごすことができました。

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司馬遼太郎記念館

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司馬遼太郎さんの本を読みますと、最後のぺージに「司馬遼太郎記念館」への招待として自宅と隣接地に建てられた安藤忠雄氏の設計の建物で構成されているのが書かれています。私は以前から一度訪れたいと思っていましたが、その機会を得ることができました。場所は大阪の八戸ノ里にあります。閑静な風紀地区という感じの町の中にありす。まず驚いたのはそんなに大きくはありませんが、四季折々の変化を見せると思われる雑木林風の庭に入りますとセミや鶯の鳴き声がします。多分テープを流しているのだろうと思いましたが、そうではなくて本当にセミが、鶯が鳴いているのです。見渡すといろいろな鳥が来ています。記念館は高さ11メートル、地下一階から地上2階までの三層吹き抜けの壁面に資料本や自著本などの2万余冊が収録されているのは目を見張リます。

司馬遼太郎先生の書物は歴史であり、国のかたちであり、街道をゆくで示されたような文化であり、人の生き方、精神の感じ方です。「坂の上の雲」「龍馬が行く」「飛ぶが如く」をはじめとして明治の群像はとにかく面白く、現代に通じるところが多い。

館内にはどの小説にも注がれた以上に力を入れて書かれた『二十一世紀に生きる君たちへ』の額が掲げられている。そして訪れた人たちは皆、感慨をもって読んでいかれる。

その出だしは『私は、歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、『それは大きな世界です。かって存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです』と、答えることにしている。これからはインターネットをひいてみてください。

司馬遼太郎先生は1996年に亡くなっています。21世紀を見ずに、しかし21世紀を一番心配されていたと思います。

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茶の湯の神髄『和敬清寂』 人生に通じる

茶の湯の神髄は「和敬清寂」と言われます。千利休が唱えたとされるこの言葉は「四規」とも呼ばれ、茶の湯の精神は、この四文字に集約されています。「和」とは、人との輪を大切にすることを意味します。「敬」とは、互いに敬う気持ちを意味します。この二文字は、ただ人と仲良くするだけでなく敬うだけでもなく、相手を敬いながら、和むのが大切です。亭主と客とが互いに敬いながら、和やかな時間を過ごす。点前の形式ばかりにこだわらず、心をこめること、これが茶の湯の精神の重要な柱です。「清」が意味するものは、目に見える部分を清浄に保つことはもちろんですが、それだけでなく、むしろ目に見えない部分。心の中こそを清く保つことが大切です。「寂」は、どんなことにも動じないよう、心にゆとりを持つことを示します。さまざまな場面に対応できるように準備をしておくことでしょう。『人を敬って和み、清く静かな心で茶道にのぞむ』ことです。人生もこの気持ちを持ちながら生きたいものです。

今日は集落の恒例の清掃作業の予定でしたが雨が降るために延期になりました。

昨日は岡山へ日帰りしました。今、地球は環境というテーマを中心に動き出しつつあります。その一つで注目されているLED照明の勉強をしました。日本は確かに技術を持ち、四国の阿南市の日亜工業のような世界的な会社もありますが、今一つ力が入っていません。このままではアメリカ、オランダ、ドイツ、中国、台湾、韓国にはるかに後れをとることでしょう。もっと国を挙げての投資が必要と思います。

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お茶の歴史 鎌倉時代

お茶の歴史はとても古い。茶の湯に使われる『抹茶』が我が国にもたらされたのは、鎌倉時代、今からおよそ八百年前です。伝えたのは栄西禅師といわれています。栄西禅師は中国に渡り、仏教の修行を積んで臨済宗を日本に伝え、その時、茶の種を持ち帰ります。鎌倉幕府三代将軍実朝が二日酔いで苦しむのを見て、抹茶を献上し、その不快を取り除き、抹茶の効用や飲み方を『喫茶養生記』に著して、抹茶を世に広めることに成功しました。そして茶の湯の心は『和敬清寂』です。

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井上ひさしさんの「一週間」

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井上ひさしさんは残念なことに亡くなりました。最後の長編小説が出版されました。「一週間」という本です。昭和21年、ハバロフスクの収容所。ある日本人捕虜の、いちばん長い一週間。何とも言えない物悲しいお話です。

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夕方楽しい相撲が早くみたいですね。高見盛のひょうきんな姿が見れないのは残念

国技大相撲の最大のピンチ。NHKの放送も中止となりました。中止になってから放送して欲しいという要望が多くなっています。これは国民は相撲に愛着がある証です。特に年配者にとり、夕方テレビを見るのは何とも言えない楽しいひと時と思います。私も相撲フアンとしてはやく膿を出し切って9月場所には晴れて相撲放送を再開して欲しと念願しています。また隠岐の海さんにも心身共に鍛えなおして幕内上位で頑張ることを期待します。

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草取りサウナ

昨日は夕方畑の草取りに汗を流しました。ずっと続いた雨で草も伸び方だい。畑に、はいつくように草を取っていきます。汗が滝のごとく流れ落ちます。全くサウナ状態です。大分痩せるだろうなと期待します。でも運動量は少ないのでそんなに体重は落ちないでしょう。高い金を払ってサウナに行くより、畑で汗を流してサウナ状態になるのが安上がりです。でも仕事が終わってからビールを飲めば元のもくあみかも。

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不安になるほどの大雨でした

昨日の雨は凄い雨でした。不安になりました。災害が出なければよいがと思うばかりでした。本当に田舎はひどい状況になっています。吉田の本年の小学校の入学生は0でした。山間地の家は空き家だらけです。雲南市にでは耕作放棄地は900ヘクタールあり、そのうち復元可能なのは50ヘクタールしかないそうです。農家がだめなら商売されている人にも大きな影響が出ています。都会にはホームレスの人たちがたくさんいますが、田舎に雇用の場があれば帰るでしょうが、田舎に雇用の場がないため帰ることもできません。大企業は自分たちが生きていくためにはアジアをはじめ外国に出なくてはやっていけません。日本の将来を考えると不安ばかりです。今政治の一番の課題は不安を取り除くことです。

今日も梅を獲りました。

今は蒲田實さんの「いい加減がいい」という本を読んでいます。無理をしない、こだわりすぎない、よくばらない、つっぱらない、頃合いに、融通をきかせる、ほどほどに、「いいかげん」には、こんなすてきな意味が、隠されている。

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雨の降るなか梅を収穫しました。 梅雨

今年も梅を収穫するときが来ました。今日は昼から出雲の友人夫妻が我が家を訪れ、梅の実を獲りました。我が家には昔、掛合が梅の生産、販売促進をした時、植えた梅の木がたくさん残っています。今年も鈴なりに稔りました。見る間に収穫するために用意した数個の箱が一杯になりました。汗だくだくになりました。汗だらけの身体をふいてから夕方までお茶を頂きました。外は時々雨が降っています。本当に梅が獲れるころの雨を「梅雨」とはよく言ったものです。来年のために今年は梅の木の剪定をしなくてはと考えています。明日もまた知り合いの方が梅を獲りに来られます。7月2日梅雨の一日でした。

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飯南町 頓原地区

飯南町赤来地区から頓原地区に移動しました。夕方で時間がありませんので3軒のお宅を訪れました。最初は、これまた古い付き合いの町の真ん中にあるお店やさんのDさんを訪れました。Dさんは女性ですが,一人で数十年店を開いています。なかなか考えた方です。もちろん孫さんもいます。店は計算ができなくなるまでやると言って張り切っていました。

次は長く議員,議長もされ、頓原町のいい意味での顔役です。これまた昭和50年代初頭からのお付き合いで志津見ダム建設や町のハードソフトのたくさんの仕事にに、一緒に携わってきました。開口一番私に「何をしているのですか」という質問です。毎日の生活を説明するのは難しいので野菜作りや読書に専念していますと話しました。やはり元政治家ですから最近の沖縄の基地、消費税、地方の疲弊についてなど矢継ぎ早に質問されるのでついつい長く逗留してしまいました。一番ショキングな話は頓原の町の中に一人暮らしの老人が33名、子供がたったの4名という数字です。空き家だらけです。これでは間もなく頓原の町は消えてしまうのではないかという危機感を持ちます。経済進展、雇用の場拡大のためにも政治の力が必要です。

最後に建設業をやっているEさんを訪れ、最近の頓原の雇用状況について伺いました。仕事が少なく、たくさんあった建設業も少なくなり、農業をやりながら建設現場に出るという兼業農家が少なくなり、農家の経済は青息吐息であると同時に仕事のない町には都会に出ている若者は帰ってくれないのです。田舎は過疎と高齢化と少子化が進み産業振興はますます落ちていくのです。田舎は悲惨という言葉を当てはめざるを得ません。多分、今日歩いた飯南町は日本の悩める田舎の縮図かと思います。政治の力なくして解決できません。近いうちにたくさんの人たちにお会いし、いろいろな話を聞かせていただきます。私の原点は旧飯石郡なのです。この地域を再生することがこれまでお世話になった人たちへの恩返しと痛感しました。

確かに私たちも長らく基盤整備には力を注いでやってきましたので、その点は素晴らしく良くなっていますが、その良くなった基盤を活用して産業が起こるまで行っていないのが現状です。産業づくりに努力したいです。

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飯南町 赤来地区

今日は飯南町役場に用事があり、訪れました。ちょうど用事を終えたところに偶然友達がやってきました。役場の近くの「道の駅」でコーヒを飲みながら談笑しました。経営者の宮脇さんご夫妻ともお話をし、楽しいひと時を過ごしました。帰りに自家製のパンをたくさんいただきました。ありがとうございました。久しぶりに飯南町の赤来に来ましたので町会議員を経験され、町の良きリーダでもあり、産業振興にも尽くされたAさんの家を訪問しました。年齢は92歳になられますが、とてもお元気でお嬢さんと一緒にお茶を頂きました。手を握り締めて励ましていただきました。

帰りに福祉施設『まごの手』に寄り、デイサービスに訪れている方たちとゲームをしたり、カラオケをしたりして、お茶を頂きました。みんな歳は取っていてもお元気です。そこで、これまたたいへんお世話になったBさんにお会いしました。私ということが分かると、手を握って喜んでいただきました。また来ますよと言ってお別れしました。今度来るときは何かお菓子でも持参しなくてはと思いました。

そしてもう一軒、これまた子供のころからお世話になた親戚のCさんの家をたずねました。開口一番「俊太郎さん最近どうしてるの」ということでした。私の最近の生活ぶりを説明するのは難しいのですが、野菜作りをしたり、本を読んだりの毎日ですと説明する。92歳ですが、全く昔と変わらず頭もさえていて、会話が弾みました。どうしても政治の話になりました。

旧赤来町を後にして、旧頓原町に向かいました。

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