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2010年4月

素人農業四苦八苦 掛合通信

昨日は緑の日でした。素晴らしい天気になりました。小さな畑ですが、野菜つくりをやっていることは以前にもお話ししましたが、朝から草ぼうぼうの畑に出て、草取りをやりそれから深く耕し肥料をやり、なすび二種類、トマト二種類、パプリカ、ピーマンの苗などを植えました。そしてホウレンソウ、人参二種類の種をまきました。そのうえに、こんにゃく芋を植えました。サウナに入ったように汗だくだくで、作業が終了するのに4時間はかかりました。これから気候も良くなりますので、すぐに成長することと思います。何せ素人農業ですから、どうしていいか分からなくなると、隣の石橋さんを呼び出して指導を受けました。石橋さんも大変です。てんやわんやの農作業でした。

去年の暮れに植えたソラマメは花が咲きだしましたので大収穫間違いなしです。夜は親戚の人たちと一杯やりました。今年の緑の日も終わりました。いよいよ連休が始まり、民族大移動です。私は連休は掛合方面です。

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石見銀山遺跡に新しい和食レストランがオープンしました

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世界遺産・石見銀山遺跡にありました武家屋敷跡『渡辺家住宅』が江戸期建築様式に修復されました。この建物を活用し、隣に離れを創設して和食レストラン『咄咄庵』がオープンしました。その記念式典に経営者の香律子社長からご招待を受けて出席しました。趣のある建物と日本料理がマッチし、石見銀山の振興に大きな役割を担うと思います。香社長は先にイタリアンレストラン『山桜』をオープンされています。ご発展をお祈りします。 連休にはお勢の人でにぎわうことを期待します。

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徳之島の友人寿洋一郎さんを訪問しました

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普天間基地移設問題で揺れる徳之島をを訪れました。徳之島には早稲田の雄弁会時代からの親友寿洋一郎さんがいます。寿さんは大学を出てから神奈川県庁に勤務していましたが、生まれ故郷の徳之島のために頑張ろうと考え帰郷し、町長を長らく務め、現在は行政書士をやりながら、サトウキビをつくり、またトライアスロンのリーダーとしても活躍しています。徳之島は鹿児島から450キロ離れ、沖縄からは200キロ離れた周囲100キロの東シナ海と太平洋に挟まれた平和な島です。しかし徳之島は太平洋戦争の大きな犠牲を受けた島です。昭和28年,敗戦により、アメリカ施政権下にあった奄美大島、沖永良部島、与論島とともに沖縄に先立ちて返還されました。産業はサトウキビとジャガイモ農業、漁業、そして観光とトライアスロンの島です。戦争時代の末期は沖縄戦に向かう知覧から飛び立った特攻隊の給油基地としても知られています。また戦艦大和の最後は島の沖といわれています。そして輸送船富山丸がアメリカの潜水艦により撃沈され4000名になんなんとする犠牲者が出た島でもあります。今も島内には戦死者を慰霊するモニュメントがたくさんあります。島民の心には戦争の傷跡が残っています。徳之島は第46代横綱朝潮太郎、徳州会創設者徳田虎雄さんの出身地でもあります。マラソンの高橋尚子さんが小出監督と共に練習を積んだ島としても有名です。明治の元勲西郷隆盛が島津久光の怒りを受けて流された島でもあります。

寿さんの案内を受けて島内の天城町、気仙町、徳之島町を見学し、いろいろな人に話を伺いました。ほとんどの人が基地移設反対でした。先に15000の人が集まり基地移設反対集会をした港の空き地も見学しました。この島で一番の影響力のある徳州会関係者も強烈に反対でした。ある大きな土木建設をやっている会社の社長さんのお話には感銘しました。それは「私たちは今の生活で十分,それより外国の軍隊が来て島を占拠するような事が絶対にあってはならない。基地を持ってきて経済対策などというのは論外だ。そんなことがあれば子供や孫たちに申し訳ない。」とおっしゃっていました。

寿さんの仲間や東京生まれ東京育ちの奥様と一緒に夕ご飯を食べながら懇談しました。奥様は農業など一度もやったことがないのに今はサトウキビの栽培にも精を出されています。

徳之島の海はこれほど透明な海はないほど透明で自然豊かでいいところです。今年もトライアスロンの大会が近づいています。寿洋一郎さん毎日鍛えた身体で頑張ってください。機会があればもう一度訪れたいと思います。

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鹿児島 徳之島への旅

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今一番の話題の一つは普天間基地の移転先の一つとして名前が挙がっている徳之島です。徳之島に住んでいる大学の友人で元町長の寿洋一郎君を訪ねました。徳之島へ行くのには鹿児島から飛行機に乗るしかありません。そこで鹿児島で一泊し、大学からの親友であり、現在鹿児島のテレビ局の役員をしている中村洋介君にまず会って行くことにしました。中村君はもともと東京の日本テレビにいましたが、鹿児島のテレビ局に役員として迎えられ、現在鹿児島では有名人の一人です。奥様もわざわざおいでいただき久しぶりに楽しくお話ししました。その後天文館に出て大いに学生時代に帰り焼酎で友情の交換をしました。途中二人の共通の友人である新潟の斎藤圭司君に電話をしました。近いうちに三人で会うことになりました。写真は城山からの桜島です。

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最近の愛読書

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私たちの学生時代は江戸時代までは授業が進むのですが、明治以降の歴史はおろそかになっていました。最近の歴史書、この写真の山川日本史と山川世界史が愛読書です。辞書代わりにも使用しています。

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最近買ってきた随筆書です。結構楽しめます。皆さんもどうですか。

姿勢を正して颯爽と歩く。そうすると世の中も輝いている。素浪人には引退がない。退屈な時間を一人占めにできる。興味なことがあれば時間を一人占めにできる。後は健康。

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大田市の石橋秀利さんが大田市議会議長に就任されました

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青年時代からの友人、大田市仁摩町の石橋秀利さんが大田市議会議長に就任されました。おめでとうございます。健康に留意され頑張ってください。

写真は堀江真さんのをかりました。(石橋さんは真ん中)

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我が家の畑に苦土石灰を撒きました 掛合通信

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毎日気候不順が続きます。今日も寒く、ストーブとセーターが離せません。畑に植えた野菜類も寒さに震えているでしょう。苦土石灰を我が家の畑にまきました。土の酸性化を防ぎ作物の育ちを良くするためです。なすびの苗も植えたいのですが、寒いのでまだ先でもよいそうです。

鹿児島県の南端、徳之島に大学の友人がいますので来月あたり行ってみたくなりました。最近、急に普天間問題で有名になりましたので、連休は人で一杯でしょう。テレビを見ていましたら、今日から奈良は平城京遷都1300年の開催記念式典が行われていました。去年の秋、奈良に行ったのが懐かしく思い出されます。今日も掛合は静かな一日です。

庭に咲いたチューリップです。

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逃がした魚は大きいですね

舛添えさんがとうとう離党し、新党をつくることになりました。自民党のほうでは一斉に批判していますが、結局、逃した魚は大きいということの表現ですかね。

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私的なことですが、今日は亡き父の誕生日です。

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私的なことですが、今日は亡き父の誕生日です。存命ならば99歳です。父が一生懸命で掛合の事に取り組んできた姿を思い出します。今、地域社会は病んでいます。何とかして地域を良くしたいものです。それが日本を良くすることです。お墓参りに行き、誕生報告をしました。

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舛添要一さんもついに離党そして新党へ  政治の世界も変わるのですね

舛添要一参議院議員が離党することを表明され、いよいよ5月連休明けに日本の政治にいかなる風が吹くのか。舛添えさんはなかなか頭の良い人だし、相当熟慮し、何かを考えていると思います。案外民主党からも参加があるかもしれません。

いずれにしても政治の世界も変わっていくのですね。

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掛合上コミュ二ティ清流会の解散式 掛合通信

昭和62年に発足した掛合上コミュ二ティ清流会が解散されました。まめなか新聞を発行し、「みんなが暮らす街だから、夢を語り、知恵と汗を出しながらみんなで創造する街づくり」をモットーに頑張ってきましたが、今回、掛合全体の組織に衣替えするために発展的解散です。これまでお世話された皆さんに感謝します。私もこのブログの投稿者でもある福場仁一さんに誘われ出席し、酒を飲みながらみんなで掛合の将来の夢を語りあいました。大いに盛り上がりました。

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田部家25代田部真孝さん貴子さんの結婚披露宴が盛大に開催されました

吉田の田部家25代田部真孝さん貴子さんの結婚披露宴が松江のホテルで盛大に開催されました。心からお祝いを申し上げます。真孝さんはこの春、島根にお帰りになり、田部グループの経営者として頑張られます。また地域のためにも頑張っていただけます。大いに期待しています。すでに26代さんも誕生され田部家は盤石です。どうか健康に留意され大いに飛躍してください。お母様を大切にしてお幸せに。

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平成22年度 第54回坪内学園グループ年次総会の開催

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寒さが続いていましたが、久しぶりによい天気になりました。第54回坪内学園グループ年次総会が盛大に開催されました。坪内会長のお話は長い経験に基ずき、教育に対する愛情、情熱を感じました。また各担当の先生方、今年昇進された先生のお話は責任の重大さと希望を感じました。これを聞いていますと将来の坪内学園の飛躍が感じられます。表彰を受けられました皆さんにお祝いを申し上げます。懇親会の冒頭、私も相談役の一人としてご挨拶を申し上げました。懇親会は若い先生方の工夫により楽しいアトラクションが出され、楽しいひと時を過ごさせていただきました。来年は55回の記念総会です。少子高齢化に中ですが、学校のため地域のために、頑張ってほしいものです。

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日本のマスコミはアメリカのに傾きすぎるのではないですか

最近のマスコミ報道はアメリカが良くて、日本はダメという報道に傾きすぎる気がします。日米安保は日本にとり大切ですが、日本だって基地をはじめ費用負担では相当な犠牲を払っていることをマスコミとして報道すべきと思います。沖縄には嘉手納基地といって世界の半分を仕切る基地があることを日本人はあまり知っていないのではないですか。イラクだってアフガンだって嘉手納基地なくしては遂行できないのではないですか。冷戦構造の時代を経て今世界は大きく変わろうとしています。日本の経済はアジア各国、ロシア、ブラジル、オーストラリア、中近東の比重はますます増していきます。日本の立ち位置を検証すべきでしょう。

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政界には年に3回風が吹く

私の経験からすると政界には必ずと言っていいほど年に3回風が吹きます。それは正月あけと5月の連休あけと盆あけです。そろそろ今年も連休が近づきますが、今年はどういう風が吹くのでしょうか。普天間問題などをめぐる民主党の動き、これに対するみんなの党を含めて各党の動き、それに舛添さんの動きなど波乱含みの要素満載です。

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島根大学公開講座 日本国憲法

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新学期となり、島根大学の公開講座が始まりました。今期は日本国憲法を受講し、歴史的にこの国の形を学び、今の混迷した日本の新たな国の形造りを模索したいと考えました。担当は遠藤昇三教授です。昨日の勉強は憲法の前文から103条まで、声を出して読むところから始まりました。なかなか厳しい先生のようです。斐川の矢野潔さんも島大の公開講座に通って勉強されています。たくさんの人が学びに来られることを期待しています。

私達同級生は猿年生まれが多いのですが、お猿さんの神社を発見しました。(写真)

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掛合中学校卒業50周年記念同窓会

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早いもので、掛合中学校卒業後50年の歳月が流れました。私は最後は松江第一中学校卒業ですが、何かあるといつも呼んでいただき、心から感謝しています。4月11日、5時30分から玉造温泉の長生閣で開催されました。当時は今と違って、掛合中学校も一学年140~150人いて、3クラスを構成していました。50年もたつと人の一生はいろいろと変わりますが、22人の同級生がなくなっているのは誠に残念でした。開会してすぐに亡き友の冥福を祈って黙とうを捧げました。そして発起人代表の小澤元さんがあいさつしました。また参会者を代表して、渡辺克人さんが思い出を語りました。来賓として恩師の永田征先生(2年A組)と槇原郁郎先生(2年B組)が御出席していただき、楽しいお話をしていただきました。乾杯の音頭を師子鹿敬子さん(藤原)に取っていただき、大宴会となりました。1次会、2次会、3次会と続き、大いに飲み、語りました。終了したのは夜中の2時を回っていたと思います。子供のころに帰えり、本当に楽しいひと時でした。閉会の辞を舟木護さん(徳島)が大きな声でやりました。参加できなかった方にその一コマを見ていただきたいと思います。全員を紹介できずすみません。今回の同窓会のお世話役をされた岡田婦美子さん、白築敏弘さん、植田久美子さんをはじめ事務担当の皆さんありがとうございました。お陰で今日は私は二日酔いです。お互い健康に留意し、またお会いしましょう。

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ロシアを訪れて

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今、世界はBRICSといわれるブラジル、ロシア、インド、中国を無視して経済を考えることはできなくなりました。そのひとつであるロシアのモスクワとサンクトぺテルグルグを訪れました。先般ベトナムを訪れた時はベトナムの主たる交通手段はオートバイでしたが、ロシアは自動車で埋め尽くされていました。一軒の家に自動車は一台、二台は平均です。トヨタも日産も工場を建設していました。今後、4年先に行われるソチの冬季オリンピックまでには相当に各都市の基盤整備がなされることでしょう。石油、各種金属、森林、水など資源は豊富だし、国土は広いし、将来の世界の経済大国になるのは間違いない。日本は隣国であるこの国との平和条約を早く結び、経済連携を結んでいくべきです。そういう中で北方領土返還も解決すべきでしょう。写真は飛行機からみたシベリア、赤の広場、クレムリンの内部の一部です。ロシアで赤というのは美しいということです。

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旅行に行き久しぶりに帰りました

4月3日に出てから、久しぶりに帰ってきました。明日は以前、朝は私の事務所に勤めていた稲岡さんがフィアンセと一緒に訪ねてくれるというので楽しみです。昼からは親戚の法事で大田へ行きます。夜は玉造温泉で、掛合中学校の卒業50周年の同窓会です。忙しい一日になりそうです。

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4月3日 今日も過ぎていきました

雄弁会の同窓会『余山会』がにぎやかに赤坂プリンスホテルで開催されました。みんな元気ですし、青春をしっかり持っている人ばかりです。まだまだこれから頑張らなくてはという刺激をたくさん受けました。

政局も動き出しました。日本の将来を見据えて、いい方向に進んでほしいと思います。

徳之島の友人もいましたが、普天間基地の代替地になる可能性ありといっていました。

東京は桜満開です。今日の日曜日はすごい人出でしょう。千鳥が淵辺りに行ってみようと思います。

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早稲田大学雄弁会 余山会 今朝は鶯の初鳴きを聞きました

今朝早く目が覚めました。庭で鶯が鳴きました。寒くてももう春です。

昭和39年4月早稲田大学第一法学部に入学しました。それと同時に、早稲田大学雄弁会に入部しました。明治初年、栃木県足尾銅山に古河市兵衛が経営者になり、最新の洋式技術を導入し、生産を上げたが、その半面、下流の渡良瀬川に発生した足尾銅山によるヒ素中毒は一帯の農家は大きな被害を引き起こしました。日本最初の公害問題です。そこで地元出身の代議士田中正造は被害民とともに鉱毒防止、鉱山の操業停止、被害民救済を主張して政府にたびたび請願し、国会で訴え続けました。特に有名なのは明治34年12月10日、議会開会式から帰る天皇の馬車に向かって直訴したのです。政府もいろいろ対策を打ちましたが効果はなく、社会問題になりました。当時、早稲田大学の教授になった永井柳太郎は田中正造翁に共鳴し、社会正義を旗印に、生徒を引き連れ渡良瀬川の被害地帯に駆け付けたのが早稲田大学雄弁会の起源といわれています。

私たち雄弁会の学生の青春は社会正義に燃え、社会に目を向け、学生の本分を尽くすことでありました。今日は、私達昭和39年入部の同窓会『余山会』が開かれます。青春時代に帰り、大いに意気を挙げたいものです。いつも私たちは青春です。頑張りましょう。

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雲南市三刀屋の土手に桜が今年も咲きました

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三刀屋土手の桜は毎年人の気持ちを華やかにします。今日は久しぶりによい天気になりました。空の色も真っ青です。桜もご機嫌で花を開きました。今度の土曜、日曜はたくさんの人出でにぎわうことでしょう。毎年、毎年人の気持ちを和ましてほしいものです。

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いくつになっても友達はいいものだ

昨日は東京から高校の友達が返ってきましたので、松江で親しい友人が集まって一杯やりました。6時からでしたが、つもる話に花が咲き時間は瞬く間に過ぎて行きました。結構みんなお酒が入りました。お互い知っている友人の情報を聴き、まだまだみんな頑張っているのだなと思いました。

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赫奕たる反骨 吉田茂 烈士暮年壮心やまず

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明治11年、維新の三傑の一人大久保利通が暗殺された年に生まれ、日本の激動の戦中戦後を外交官として、政治家として生き抜いた吉田茂の生涯を見事描いた力作です。特に世界の冷戦構造の中で日本のあるべき姿を描き平和な日本を築いた名宰相。この人くらいマスコミからも見放され、国民からも不人気な政治家はいないと言われまれた。しかし対等な外交関係を築き、戦後政治の流れをリードしました。当時と現代とでは時代は大きく変わリましたが、今の時代を生きる政治家に多くの示唆を与えることでしょう。烈士暮年壮心やまず。

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