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如己愛人 三刀屋町出身永井隆博士 平和を

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せっかく長崎に行きましたので、私の住んでいる雲南市三刀屋町飯石出身の永井隆博士の如己堂と永井記念館を訪れました。永井博士は長年取り組んでいた結核患者の治療のため放射線の障害を受けて、白血病にかかり余命あと3年と診断されました。妻の緑さんに告白し夫婦でその運命を受け入れました。8日の朝、妻はにこにこしながら出勤を見送りました。それが別れでした。博士はその夜は防空当番で教室に泊まりました。9日の朝11時02分原子爆弾が投下されました。博士は傷つきながらも、患者の救護に当たりました。もちろん妻緑さんのことも心配だったと思います。3日後、家に帰り、妻の焼けただれた骨盤とロザリオの鎖を見つけました。博士はその後死ぬまで献身的に原爆の負傷者の治療に当たりました。

博士は次第に白血病のため歩くことができなくなりました。関係者が2畳一間きりですが、博士のために家を建てました。博士がいつも言われていた「己の如く人を愛す」にちなんで如己堂と名付けられました。そこで疎開のため原爆からのがれた2人のお子さんと語らい、研究し、「長崎の鐘」をはじめとして14冊の本をものにしました。またカトリックの信者として浦上天主堂の再建にも尽くしました。世界の平和を念じて1951年43歳で永眠されました。博士は長崎市、三刀屋町の第一号の名誉市民、名誉町民に推戴されました。

永井記念館に行って思いましたのは若い女性の皆さんが多く参観しているのには感心しました。

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