« 秋の訪れ | トップページ | はっけよいのこった残った 松江市相撲連盟との楽しい会合 »

今日は敬老の日 戦後の日本を支えたすごい老人 名宰相吉田茂翁

今日は敬老の日です。朝から元気なお年寄りがテレビに出演されています。この方たちはみんな戦前、戦後と生きてこられ今日の日本をつくって来た方たちです。心から敬意を表します。、昭和20年8月15日終戦以後、冷戦の危機意識や戦後の社会不安の中、昭和30年に、混乱した日本の政治の流れは、自由主義陣営と社会主義陣営とに収斂していきました。そして,一方においては保守合同がなされ自由民主党が発足し、また片方の革新側も合同され日本社会党が設立されました。今日の日本を考える時この10年間を抜きにして考えることはできません。その大半7年間にわたって政権をつかさどり日本の礎を築いた吉田茂翁に思いを致すものです。

ミズーリ号で重光葵外務大臣が降伏文書に調印したのち、重光は東久邇宮首相にも米軍にも非協力であったために解任され、昭和20年9月17日吉田茂は外務大臣に任命されました。齢66歳で、政治家としては遅いスタートでした。吉田茂は東久邇宮内閣の後、幣原喜重郎内閣を作りました。吉田は幣原を伴って、マッカーサーに会いにいきますが、ここで、日本の民主化の5ヶ条の要求を渡されます。そこには女性に参政権を認めること、労働組合の結成を奨励すること、基本的人権を保障することなどがうたわれておりましたが、吉田は当然と思いましたが、保守的な幣原は受け入れることができず、また幣原は憲法改正の素案もまとめますが、マッカーサーに拒否されました。昭和21年幣原内閣は食料不足や激しいインフレの中で退陣に追い込まれます。その後任には鳩山一郎が成ると思われていましたが、鳩山は以前ファッショ的な書物を書いたということで公職追放の憂き目にあい、鳩山は吉田自身に首相になるように要請し、昭和21年5月22日に第一次吉田内閣が発足しました。吉田内閣の下で、新憲法が制定されました。吉田はマッカーサーに負けないくらい理想家でした。憲法9条についても「過去の戦争というものはみな自衛のためといって始められたものだ」と言って明確に軍備を否定します。新しい憲法が成立し、発効を待つなか、ひと足早く施工された、改正選挙法により昭和22年4月25日、女性も参加した総選挙が行われました。吉田も郷里の高知から出馬しトップで当選しましたが、皮肉にも当時の社会不安の中、 社会党が大躍進し、第一党になったため吉田内閣は退陣し、片山社会党政権が誕生しました。片山内閣は7カ月半で不評判のため瓦解し、芦田内閣に引き継ぎますが、昭電疑獄により内閣は崩壊します。それを受けて、昭和23年10月15日第2次吉田内閣は発足します。しかしこの時点では少数与党。政権は不安定で内閣不信案は通ってしまいます。国会は解散され総選挙で圧勝し、昭和24年2月16日第三次吉田内閣へ移行します。吉田は次代を担う佐藤栄作、池田勇人らを積極的に使い「インフレ終息宣言」を出し「終戦の終了」をアッピールし始めます。吉田が最も手掛けたのは戦争終結となる講和条約の締結でした。アメリカ大使ダレスは日本が独立するにあったては軍隊が必要であると主張しました。吉田は国連の軍隊によりすべての国の安全を守るべきと考え、両者の意見は平行線をたどります。しかし朝鮮動乱が起こり世界の情勢も一変し、吉田も妥協を余儀なくされました。昭和26年9月8日サンフランシスコで太平洋戦争を完全に終結させる講和条約が結ばれ、日本は独立を回復しました。この時、吉田以外にほとんどだれも知らされていなかった日米安保条約も同時に調印されました。吉田は国連の機能が米ソ対立の中ではうまく機能せず、日本の安全保障はアメリカとの提携以外にないと判断したのです。そして同時に日本自体の防衛も整備することを考え、昭和27年10月には警察予備隊を改組します。(昭和29年7月に自衛隊に改組)

さて、吉田を押し上げた鳩山一郎は昭和26年、やっと公職追放が解けて、政治の世界に戻ってきます。鳩山は吉田に首相の座を譲るように言いますが、吉田は仕事まだ半ばということで拒否します。ここから吉田、鳩山の争いが始まるのです。吉田は昭和27年8月28日国会が始まると同時に解散をします。これを世にいう『抜き打ち解散』と言います。吉田は独立を勝ち得たということで圧勝し、第4次吉田内閣ができました。しかし内閣は思わぬところでケチがつきます。昭和28年2月28日、衆議院予算委員会で右派社会党の西村栄一氏の質問に対し「バカャロー」と発し、その後は鳩山一派が自由党を離党し不信任案がとおり解散をします。俗に世にいう『バカヤロー解散』です。結局自由党だけでは過半数がとれず改進党と連立の上で、昭和28年5月21日第五次吉田内閣が発足するのです。その後、造船疑獄が起こり、吉田は犬養法相に命じて懐刀の佐藤栄作幹事長に累が及ぶのをおそれ指揮権を発動して検察庁に中止させるのです。これにより批判を浴び、昭和29年12月7日吉田は内閣総辞職をし吉田内閣はおわりをつげるのです。吉田は在職7年の間に任命した大臣の数79人、彼らは後に「吉田学校の生徒」と呼ばれたのです。

今、自由民主党の総裁選が行われていますが、吉田茂さんの孫の麻生太郎さんと鳩山一郎さんの孫の鳩山邦夫さんが手を組んで麻生政権をつくろうとされているのを見るとまことに面白いものです。 

|

« 秋の訪れ | トップページ | はっけよいのこった残った 松江市相撲連盟との楽しい会合 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/517932/42480380

この記事へのトラックバック一覧です: 今日は敬老の日 戦後の日本を支えたすごい老人 名宰相吉田茂翁:

« 秋の訪れ | トップページ | はっけよいのこった残った 松江市相撲連盟との楽しい会合 »